台湾有事の危機をあおり立てるな

 政治家の最大の責務は、国民の命と人権を守ることだ。自国民だけでなく、他国の国民の命と人権もだ。そのためには、絶対に戦争はしてはならない。戦争は、自他問わず不幸しか招かないからだ。政治家は、戦争回避のために、あらゆる努力をすべきだ。その努力のなかで、大切なのは、他国との信頼関係の構築だろう。互いにリスペクトし合えるような関係を普段からどう構築していくか、何かあっても、話し合える関係を作っておくことができるかどうか、ここに知恵の絞りどころがあるし政治家としての醍醐味があるはずだ。ゴリラの胸を叩いての力自慢のように、軍事力を強化して、その威力を誇示して、自国の言い分を押し通そうとするのは、愚の骨頂だ。習近平氏が最高指導者になってからの中国は、経済発展を背景に、その姿勢が強いので、まったく尊敬も信用もできない。こうした中国に対して、日本はどのような対応をすれば良いのだろうか。

 安倍元首相のように台湾有事の危機をあおり立て、日米同盟や自衛隊の強化、敵基地攻撃能力の保持といった、軍事対軍事の対決路線に猪突猛進すれば良いのだろうか。私は、それは愚の骨頂だと考える。太平洋戦争をふりかえってみても分かるように、すでに中国は、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国であり、軍事大国だ。日本は中国の背中を見られないほど相当に経済力に差がある。日米同盟を背景に、そんなところと、軍事力の力比べをするなんていうことは、破滅の道を進む以外の何物でもない。アメリカも、いろいろとシミュレーションしているが、軍事対決は相当分が悪いと見ているようだ。もちろん、米中が直接軍事対決したら、双方の破滅だろう。米軍基地のある日本は米本土よりひどいことになるのは容易に想像できる。

 だから、戦争するというシナリオはないのだ。そうすると、外交しかないということになる。軍備の拡大をやめさせ、互いの信頼関係をどう構築するか、話し合いしかないではないか。人類が二度の世界大戦を経験し、ようやく作り上げてきた国際法にのっとり、その遵守を求めていくことこそ、外交の大道ではないのか。政治思想や体制の違いは横に置いて、互いの主権尊重、平等互恵、平和共存しか、ないではないか。それを、敵基地攻撃能力の保持の検討などといって、軍事力で事を解決する姿勢を打ち出すなどは、相手にさらなる軍拡の口実を与えるだけで、マイナスの効果しか生まない。緊張が高まるばかりである。そして、両軍が接近する中で緊張が高まり、ほんの偶発的な出来事で、戦争になってしまうということが、過去の歴史の教訓なのだ。戦後、9条改憲の足音が高くなってきた数十年前、「戦争は命かけても阻むべし 母祖母おみな牢にみつるとも」という短歌が詠まれたことがあった。権力者は安全な場にいて、戦争の犠牲者になるのは、いつも力の弱い国民だ。だから、平気で権力者は戦争の準備をするのだろう。そうさせてはならない。中国の姿勢が強権的軍事的であればあるほど、国際社会の公正と信義に信頼して、国際世論で中国の政策転換を呼びかけていくべきである。道理に立った説得こそが、遠回りなようで、国際平和を維持する近道なのだ。