『東洋日の出新聞 鈴木天眼 アジア主義もう一つの軌跡』を読んで

 高橋信雄著『東洋日の出新聞 鈴木天眼 アジア主義もう一つの軌跡』長崎新聞社刊(2019年10月10日発行)をようやく読み終えた。

 本の帯に以下のように簡潔に紹介してある。

「明治後期から大正の長崎に、平和を訴え、政治の腐敗を憎み、自由と人権を守って一歩も引かぬ新聞社があった。時代の暗流に抗して勇気と反骨と理性のペンを揮い続けた鈴木天眼の鮮烈なジャーナリスト精神が百年の歳月を超えて蘇る。」

日露戦争終盤、戦争継続を叫ぶ国民的熱狂が渦巻き、全国の新聞がそれを煽る中、敢然と講和条約支持を主張してひるまなかった。辛亥革命を応援し、孫文から感謝の訪問を受けた。日本魂と武士道を重んじるが故に軍国主義に反対した。アジア主義者が国権派から民権派に転じた稀有の軌跡を、23年分の天眼執筆全論説を精査して読み解く。」

 たしかにその通りであった。『万朝報』までが主戦論に転じ、大半の新聞が戦争継続を叫び、講和反対の日比谷焼打ち事件まで引き起こされた日露戦争終結時、講和支持の論陣を張った鈴木天眼の客観的分析力、見識の高さに驚いた。そして、日露戦争後、軍閥が行おうとする軍備拡大や、命令に従順な国民を作るための教育への介入、天皇神格化に断固として反対の立場を表明し続けたのは、本当に「稀有」のことではないか。民権論から国権論への傾斜が強まっていく日本の中で、そのような平和や民主主義を大切とする思考にどうやってたどり着いたのか、もつと知りたいと感じた。中国との関係でも、平等互恵の関係を築くべきとする考え方が一貫しており、孫文の訪問を受けるだけのことはあるなと感じた。

 翻って、現在の日本のジャーナリズムは如何。戦争法などの違憲立法、公文書の隠蔽・改ざん、森友加計学園桜を見る会などお友達優遇といった政治の私物化、無為無策で後手後手のコロナ対策、見るも無惨な安倍・菅政治が9年も続いた責任の一端は、へっぴり腰で権力者に忖度しまくりの日本のジャーナリズムにあると思う。再質問ができない官房長官や首相の記者会見は一体なんだ。自分たちの弱腰を横に置いて、野党がだらしないなどとよく言えたものだ。マスメディアが「勇気と反骨と理性のペン」の報道をしてこなかったから、権力保持と私物化に汲々とするだけで、コロナに感染しても「原則自宅療養」という名の「自宅放置」と「在宅死」に国民を陥れた悪政を許してきてしまったのだ。

 鈴木天眼のようなジャーナリストが皆無だとは言わないし、悪戦苦闘されているジャーナリストがおられることも承知している。しかし、「稀有」すぎるし、少数過ぎると思う。戦前の治安維持法時代や、中国政府から悪法で弾圧されている香港ではない現代の日本で、あまりにも腰が引けているのではないか。

 菅首相の退陣表明を受けて、コップの中の嵐を疑似政権交代よろしく立候補者の言い分垂れ流し報道に堕することのないよう願いたい。

 

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本の表紙