敵基地攻撃能力保有の検討という火遊びは亡国の道

 台湾有事や北朝鮮のミサイル開発の危機を口実とした「敵基地攻撃能力保有論」が政府から発信されている。維新や国民民主党もその検討には賛成のようだ。さすがに改憲を目指すだけのことはある。確かに、中国や北朝鮮の軍事力強化は、日本だけでなく東アジアの安全保障環境にとって脅威であることは間違いない。しかし、軍事に対して軍事という選択肢をとることが、本当に「現実的」で「安全保障の強化」につながるのかどうか、よくよく検討しなければならない。

 最近、NHKスペシャルで、台湾有事の危機に関する番組が放映された。近年の中国軍の強化で東アジアの軍事バランスが不均衡となっている現状と台湾への侵攻予測、それに対するアメリカや台湾の危機意識、そうした事態への日本の政府や自衛隊がどう対応すべきかをシンクタンクがシミュレーションしてみた、などの内容であった。なかなか深刻な内容であったが、シミュレーションで外交担当役が述べた感想が心に残った。武力衝突となった場合、勝者がいない惨事となるということを中国に理解させて、武力衝突が決して起きないようにすべきだという内容だった。敵基地攻撃能力保有論者は、だから中国を抑止するためにも保有すべだと考えるのであろうが、私はその考え方には反対だ。

 なぜなら、憲法違反が第一。そして、第二に、抑止論の立場に立てば、はてしない軍拡競争に陥るということ。第三に、軍拡すれば、それを相手に見せることで、偶発的な衝突の原因と往々にしてなること。日中戦争の原因となった盧溝橋事件しかり。全面戦争には至らなかったが日本軍がソ連軍に惨敗したノモンハン事件しかり。軍事力の誇示は、決して良い結果を生まないのが歴史の痛恨の教訓だからだ。しかも、軍需優先となり国民生活が圧迫されることも必定で、よいことは一つもない。「戦争の惨禍」の被害者は、いつも国民なのだ。

 だから、危機をあおり立てて軍備の拡大などやってはならない。相手の軍拡の口実を作らず、国際社会の世論を味方につけるための、道理ある外交を展開すべきだ。これからの戦争は、勝者がない双方に悲惨な被害をもたらすものだ。軍拡をしてそんな戦争をするよりも、病気をなおす医療の強化、気候危機をなくす環境重視の行動変容、スポーツや音楽、芸術分野での競い合い、科学技術の開発競争などで、切磋琢磨する方がよほど生産的で創造的ではないか。貧困と格差や不幸を少しでもなくせるではないか。軍拡で軍需会社を儲けさせるより、多くの人々を幸せにできるはずだ。少しでも、戦争の危険性から離れるための行動こそが求められていると思う。