軍拡は戦争の危機を高める 参議院選挙に行こう

 ロシアのウクライナ侵攻を機に、国内で改憲勢力が大合唱を始めている。曰く、攻められないように軍備を拡大せよ、敵基地攻撃能力を持て、自衛隊憲法に明記せよ、と。一見、正しく見える考え方のようだが、はたしてどうか。私は以下の理由から大いに疑問を感じる。

 5兆円を超える今の防衛費は、世界的に9位に位置しており、必要最小限度の実力は備えているのではないのか。GDPの2%まで増額すれば、世界第3位の防衛費となるが、近隣諸国からどのように見られるか、考慮した上でのことなのか。専守防衛という近隣諸国にとって脅威とならない立ち位置を変更することにならないのか。果てしない軍拡競争の引き金にならないのか。年金、医療、介護、教育、福祉の予算は増額が求められているが、さらに貧困なものになるのではないか。軍事栄えて国民生活が疲弊することになり、本末転倒ではないのか。1000兆円を超えた国債、円安、物価高騰対策はどうするのか。戦争放棄を定めた憲法9条を掲げ、外交で世界に平和を訴えていくことができる貴重な立場を失うことになるのではないのか。攻めてこようとする敵を作らない努力はどうなっているのか。疑問は尽きない。

 武力には武力を、という立場は、安全を保障することにはならない。最近、アメリカで銃乱射による犠牲が相次いでいる。たとえば、教室に銃を持ち込む生徒がいた場合、他の生徒も銃を持ち込めば、その教室は安全になるだろうか。反対に、一触即発の危険極まりない場所になるだろう。武器は、持てば持つほどその身の安全を保障するのではなく、それをみんなが減らし、最終的にすべてを放棄することで安全が保障されるのである。教室に銃を持ち込まず、みんなが銃を放棄すればより安全になるのである。

 軍拡すれば相手に脅威となり、相手の軍拡を引き起こし、悪循環に陥り、それぞれの国民生活を疲弊させることで、誰も幸せにならない状態が続いてしまう。そのような想像力の欠けた、自分の都合だけを優先する、マッチョな軍拡、核共有、改憲論には、ノーと言うべきだろう。7月10日投開票の参議院選挙では、日本国民の冷静な判断が求められている。無関心・棄権は危険。選挙に行って意思表示をしよう。