散歩道 兵の墓碑銘 見入る人

 散歩道にある墓地。墓石のてっぺんが尖っているのが戦死した兵のもの。古くは日露戦争のものから日中戦争、太平洋戦争のものがある。それにじっと見入る人がたまにいる。私も散歩途中の墓地で墓石の形は気になってじっと見入ることがある。この人はどんな気持ちで亡くなったのだろうか、とよく考える。また、この墓石を立てた人はどんな気持ちだったのかと。

 ロシアのウクライナ侵攻が止まらない。どちらも犠牲者が増えるばかりだ。戦争させる人は安全地帯にいて、庶民が徴兵され、戦場に送られる。戦場になった地域の人々も家を破壊され、命まで奪われる。いつも泣かされるのは、庶民だ。

 日本の憲法9条は、先の大戦で亡くなられた人々の遺言だ。ロシアの侵略を見て、チャンスとばかりに軍備増強を叫ぶ政治家がいる。肝心なのは、戦争をさせないための外交努力なのに、それはまったく眼中に入らないで、軍拡、核保有という軍事一辺主張。

 よほど戦争させたいらしい。そんな輩こそ、自分だけは安全地帯にいる卑怯者にちがいない。しかも、相手の考えることが分かっていない。こちらが軍拡すれば、相手に脅威となって、相手も軍拡するという簡単な理屈が。そして、戦争の危機が高まるのである。第二次世界大戦の経緯をみれば明白だ。それを反省して、国連憲章が作られ、武力に頼らない平和構築が追求されてきた。それをすっかり忘れてしまったらしい。

 今までの戦争犠牲者の声をもう一度しっかり聞くべき時だ。墓碑銘を見てそう痛感する。