やめてんか身を切る傷害、それよりも給料・年金上げてんか

 筆者の居住する市の維新市議団からのチラシがポストに投函されていた。議員報酬の削減提案を他の会派が否決した。維新は「身を切る改革」を今後も進めます、と誇らしげに書いてあった。非正規雇用が全労働者の4割に達し、低賃金に苦しむ労働者にしてみたら、議員報酬が特権のように目に映り、それを削減することが、低賃金労働者のためになる改革であるかのような錯覚に陥らされるが、はたしてそれが必要な改革だろうか。

 私見を述べれば、それは低賃金労働者にとって必要な改革ではない。低賃金労働者にとって必要なのは、賃金を上げることこそが必要な改革だ。派遣などの非正規雇用労働者は、派遣会社に経費を差し引かれる(中間搾取)分、低賃金になるのは必然だ。中間搾取で労働者が貧困に陥らされた戦前の教訓から、派遣労働などの中間搾取が容易な雇用形態は戦後禁止されてきた。それを人件費削減で利潤の拡大をめざした財界の要求に応えて、解禁したのが1980年代だった。最初は特定業種に限定されていたのが、1990年代に業種が拡大されていき、ついに労働者の4割が非正規雇用になってしまった。これが、正規労働者の労働条件も下方に引き下げる圧力として働き、日本の労働者の平均賃金が、1997年をピークに下がり続ける要因となってしまった。だから、公務員や議員の一見安定した収入が、何か特権であるかのような錯覚が生まれ、それを削減することが「身を切る改革」として、何か素晴らしいことであるかのような幻想を生むことになった。しかし、公務員や議員の報酬を削減しても、低賃金労働者の賃金が上がることはない。逆に賃金を下方に引き下げる圧力が増して、労働者全体の賃金が引き下げられることにつながってきた。そして、消費も増えず、経済が冷え込み、悪循環に陥った。維新が大きな勢力を誇る大阪では、「身を切る改革」が続き、府市民の身が切られ、低賃金構造が強固となり、経済の冷え込みが続いている。つまり、低賃金労働者を多数生み出す構造こそを改革しなければ問題は解決しない。

 そもそも、身を切ったら痛いし傷がつき体に悪い。傷害だ。身を切るのではなく、きちんとした栄養を体に行き渡らせ、健康な体にしていくことが本当に必要な改革だ。8時間働けば、普通に暮らせる賃金にしていくことこそが待たれている本当の改革だ。維新のやっている行政を注視してみよう。府市民にとって必要な行政になっているかどうかを。コロナ禍で明らかになった、保健所や病床が減らされてきたことの罪深さが反省されているだろうか。賭博場であるカジノを開くことが、本当に大阪の人々を幸せにする事業なのかどうかを考えてみよう。万博を開催し、大型公共事業をすすめることが、本当に地域経済を回復させることになるのかどうかを。

 そんなことより、地域最低賃金を大幅に引き上げ、非正規雇用を原則禁止にして正規雇用に転換し、賃金アップを図ることが、需要を生み、投資を呼び、経済の好循環を生み出すことを。労働者にきちんとした賃金を保障していくことで、生活保護に頼らなくても大丈夫な府市民を多数にしていくことができるはずだ。年金もカットするのではなく、引き上げていくべきだ。最近の物価上昇を見よ。年金生活者が、栄養失調に陥り、病院にかかったり、生活保護に頼らざるを得なくなれば、大きな損失ではないか。

 結論。議員や公務員の報酬を削減するのは、本当に必要な改革ではない。大切で必要なのは、賃金や年金を上げる改革。