テレビドラマ 水戸黄門が好き

 西村晃が主演するテレビドラマ『水戸黄門』の再放送を毎日楽しんでいる。映画『寅さん』と同じく、毎回、悪役が黄門と助さん格さんらにギャフンと言わされて終わるのだが、その悪役の描き方が現代にも通じる風刺となっている。悪代官や奉行がその権力を悪用して悪商人を助け、荒稼ぎをさせて賄賂を受けたり、女性を我が物にしようとする。そのような悪人の跋扈を許さず、「天下の副将軍・葵のご紋」という権力を用いて、懲らしめるという単純でお決まりの筋書きだが、痛快で飽きない。

 20年も30年も前のドラマだが、権力者や悪徳商人を批判的に描いているところがいい。昔は、こういうドラマを通して、「弱きを助け強きをくじく」のが人間として大切なことなのだということを、教えてくれていたのだと改めて感じている。それに対して、最近のテレビ番組は、権力者や悪徳商人をあまり批判せず、逆にみんなで「弱きを笑う」ようなものが多い気がする。貧困に陥って苦しんでいる人を見ようとしないし、見たとしても自己責任を強調するコメントや内容のものが多い。あるいは、そのような社会の矛盾をあえて見ようとしない、または取り上げないという形で、問題の存在を覆い隠しているのではないか、とも言える。世の中から、いじめやハラスメントが減少しないのも、黄門さんのような番組が少ないことが一因ではないかなあ、と思い至った。

 人間を善か悪かの二項対立で捉えるのは単純すぎるかもしれないが、少なくとも権力や立場を悪用して弱いものいじめをすることは卑怯なことであり、弱者も団結してそれに立ち向かっていく勇気を持とう、周囲は弱者を助けようというようなメッセージを出すことは、テレビのような公共の電波を扱うものの最低限の義務であるように思う。

 とりわけ、権力者への忖度が官僚やマスコミの習い性とさせられつつある現代日本社会にあって、水戸黄門の再放送を痛快と感じる所以である。