コロナより怖い政治の無為無策

 緊急事態宣言下のオリンピック開催強行は、太平洋戦争末期、本土決戦・一億玉砕を叫んだ旧日本軍を彷彿とさせる暴挙で、政府の行為によって起きたパンデミックとして、人々が決して忘れてはいけないことだ。

 感染症防止には、3つの方法を組み合わせなくてはならない。第1は、感染源の発見・隔離・保護(PCR検査の拡充)。第2は、感染経路の遮断(人流の抑制)。第3はワクチン接種。ところが、ワクチンの接種はまだ途上で万能ではない。第2の人流の抑制は、4度目の緊急事態宣言に対する国民の慣れとオリンピック開催という逆メッセージおよび減収補償をきちんとしない行政への不信とで、期待されるほどの効果が望めない。そして、未だに拡充しない第1の検査。3度目までの宣言で、それなりに新規感染者は抑制できていたが、検査を拡充しなかったのでゼロに近づけることはできなかった。つまり、感染源を市中に放置したまま、宣言を解除してきたから、人々の接触が増加し感染が拡大してきたのである。無症状感染者がウィルスを排出するのだから、これは、理の当然ではないだろうか。そして、感染力の強いデルタ型変異株の流入で、感染爆発という状況が出現したのである。

 これは、政治による無為無策感染症防止の基本を無視した人災である。挙げ句の果ては、専門家や医師会に相談もせず、重症者以外は入院制限するという方針を出す暴挙。批判を浴びて、方針を一定手直ししたとはいえ医療崩壊を招いた反省もなく、医療費削減を至上命令とした病床削減の基本姿勢は変わらない。とるべき対策をとらず、オリンピックを強行するこのような政治によって、国民は命を危険にさらされているのである。GDPが世界第3位の21世紀の日本で、医療に接続できず、自宅に放置され死ぬかもしれない恐怖に国民は陥らされているのである。コロナより怖い政治の無為無策という所以である。

 このような政治の継続を許していてはいけないと、痛切に思うのである。市民と野党は団結共闘して、今の政治を変革してほしいと思う。あきらめては、子や孫にまっとうな日本を残せない。