「自粛要請は補償とセットであるべき」は憲法に適合

 緊急事態宣言が発出されて3週間、コロナ感染がやや鈍化したように見受けられるが、油断できない。3密を避けるためということで、事業者への営業自粛要請、国民への外出自粛要請が出された。ほとんどの事業者や国民は、感染拡大防止のため協力している。しかし、生きていくためには、事業の継続と生活のための資金が必要だ。事業者にとって営業自粛は収入源を絶たれることを意味するから、大変だ。労働者も自営業者も収入減で大変だ。ギリギリまで追い込まれつつある人がたくさんいる。自粛要請で経済活動という私有財産権を制限するわけだから、一刻も早い補償が不可欠だ。

 昨日は憲法記念日だった。憲法第29条は財産権を次のように定めている。

 ①財産権は、これを侵してはならない。

 ②財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。

 ③私有財産は、正当な補償の下に、これを公共の福祉のために用いることができる。

 これに照らし合わせれば、事業の自粛要請は、侵してはならない財産権の侵害に当たる。しかし、財産権は無制限ではなく、コロナ感染拡大防止という公共の福祉に適合しなければならない。その財産権を感染拡大防止のため制限せざるを得ない場合は、正当な補償が必要だ、ということになる。つまり、日本国憲法は、今回のような場合、正当な補償を求めているのである。

 言葉は自粛「要請」だが、事実上の「強制」になっている。そして、事業者も国民も生活困難に瀕している。「正当な補償」を当然実行するべきである。憲法がそれを政治に「要請」しているだけでなく、義務づけていると言っても過言ではない。そもそも、国民の命と暮らしを守るために政府は存在しているはずだ。無策や不作為で国民の命と暮らしを軽んじる政府なんて不要だ。政治に無関心でいてはいけないのだな、と今回のコロナ問題で痛感させられた。医療や介護現場の余裕をなくす効率優先の政策が抜本的に見直されないといけない。武器よりも、そうした国民生活に直結するところに、予算を拡充していかなければ、今後想定される新たな感染症や災害に、対応できない国になってしまうだろう。

 子どもたちや孫たちに、どんな社会を残せるか、問われているように感じる。