身を切ると言うなら政党助成金

 参議院選挙の投票日が迫ってきた。選挙公報を読んでいて気になることがいくつかあった。維新をはじめとして、議員定数の削減や議員報酬の削減など「身を切る改革」を標榜するところがいくつかある。「身銭を切る」という言葉のように、自分自身のお金を他人のために使うのは、尊敬すべき行いだ。自身の懐を増やす行為を政治家がすることが多いので、その言葉に惹かれて支持する人が出てくるようだ。

 しかし、私は、議員定数の削減や議員報酬の削減は、本当の改革にはならないと思っている。議員は国民と国政をつなぐパイプだ。少ないより多い方が国民の声が届くようになる。多すぎるのは問題かもしれないが、他国と比較して、日本はすでに少ないくらいだ。国民の意見を尊重せず、党首の意向を忖度だけする議員がいるから、つい少なくてもよいと思ってしまうのだろうが。そして、議員報酬の削減だが、高すぎるのなら問題だが、本来それだけの仕事ではないのだろうか。兼職をせず、汚職をせず、国政に専念するには、相当の報酬があってしかるべきだ。そういう意味で、報酬の削減には賛成しかねる。ましてや、議員報酬よりもはるかに低い公務員の給料を削減するなど、労働基本権を制約されている勤労者に対して言語道断のふるまいだと思う。これは、議員自身の「身を切る改革」などではなく、公務員という他者の生活権を奪うとんでもない行いだ。非正規社員が増加し続け、低賃金の国民が増える中で、公務員バッシングをすれば票になるという心情を利用した悪質な宣伝だし、低賃金の弱いもの同士を対立させ分断する行為だ。

 2011年の東北の大震災を経験したとき、私が強烈な違和感を覚えたのは、あの苦境に置かれた人々の救済のために、復興税という名目で増税されたとき、それを決めた国会が、政党助成金を返上しなかったことだった。国民には増税を押しつけておきながら、自らはのうのうと政党助成金を受け取る。政党助成金制度を廃止する方が議員報酬の削減より、はるかに大きな「身を切る改革」なのではないか。政党助成金制度が始まって20年以上。すでに何千億円もの税金が各政党の懐に転がり込んでいる。そこにはまったく触れないで、「身を切る」といわれても、本当にそうなのか、と疑わずにおれないのである。

 身を切ると言うなら政党助成金。国民の苦難をよそに、のうのうと受け取る政党は信用できない。これを実行してはじめて信用できる政党だと思うのである。そして、その政党助成金を受け取らない政党が現に一つ存在しているのが、日本の希望だと思う。